2004年11月12日金曜日

永野萬蔵

一八七四年(明治七年)十九歳の口之津町出身、永野萬蔵は英国船にボイラーマンとして乗り込み、船上で英語を覚え、一八七七年(明治十年)カナダ、バンクーバー近くに上陸。 永野萬蔵は日本式の投網で、川をさかのぼるサケを一網打尽にして財をなした。「塩ザケ王」「カナダ大尽(大金持ちの意)」と呼ばれ、カナダの産業発展、鉄道建設などに協力した。今も一八九八年に萬蔵が建てたレンガ造りの三階建のナガノ・ビルが残っている。 一九二四年(大正十三年)故郷口之津で死去した。(享年70歳)玉峯寺の墓にある戒名「千岳院萬山領実相居士」と刻んである。 一九七七年に日系移民百年祭にカナダ政府が永野萬蔵をカナダ移民第一号と認め、ブリティッシュ・コロンビア州の山、標高一、九五五㍍=六、四〇〇フィートの山を「マウント・マンゾウ・ナガノ」と命名した。 日本人の名前がついた海外の山はグリーンランドに「ウエムラ岩峰」(植村直巳さん)、南極に「ナガタ山」(永田武、南極観測隊長)があるくらいだろう。 長崎県川棚町出身(神戸市在住)拓殖大山岳部OBの藤原謙二氏(60才)が八月二十四日、七年間思い焦がれていた「マウント・マンゾウ・ナガノ」に登頂成功した。参考資料/バンクーバー新報



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