2015年2月1日日曜日

2015南島原市桜まつりの開催告知動画です




もう2月ですね。
今年の桜まつりは4月5日(日)開催です。
あと2か月ほどですね。
今年も楽しいイベントを企画していきます。
詳しい情報はこのページでお伝えします。
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しておいてくださいね(*^^*) — 場所: 南島原市桜まつり

桜まつりやマリンフェスタの動画等制作しています。

ふるさと通信とは

ふるさと通信とは
長崎県南島原市口之津町で携帯電話でのアップロードとビデオカメラの動画で口之津町の情報を発信しています。
     仕事での移動中、イベントの作業中などに撮影していることがあります。
  
   
 
口之津はこの辺です
              

発行  有限会社 山本・山本新聞店   (前方)
        山本 健一郎
    長崎県南島原市口之津町丁2685











旧編集部員 よっちゃん、勤おじさん、健一郎、コロ

過去のコラム   アーカイブ

無題

 過日、酒の出る会合に出席するので車をやめて島鉄に乗った。東大屋の駅を夕方の六時二十分発のディーゼルカーである。車社会の時代などで乗客も少ないだろうし、沿線の風景を眺めて身を列車の揺れに任せているのもわるくないと思っていた。
ところがこの時間は高校の下校時に当たっていて座席のほとんどが埋まっていた。目的地が駅にして三つ目なので乗降口に近いところに立つことにしたが、そこには十名近い生徒が陣取っていてつかまる物もないのでやむなく車内の中央部まで進んで通路に立った。
ふと座席に目をやって、オヤと思った。座席にかけている生徒たちの多くが男女で相席をしているのである。そして明るく屈託のない会話を交わしている。中にはスナック菓子を分け合って食べている男女生徒もいる。その雰囲気に不自然さが微塵も感じられない。私は不思議な物を眺めているような気持を味わっていた。しかしそれは決して不快なものではなかった。黄昏のはじまっていた窓の外に目を転じながら“オレたちの時代は、こんなではなかった”と心のうちでつぶやいていた。と腰のあたりを軽く叩いている者があるのに気づいた。振り向くと、一人の女子高生がさわやかな笑顔で見上げている。顔見知りの子かな、と思ったがそうではなかった。
「どうぞ・・・」という彼女の手は案内のしぐさで前の席を指している。
「ありがとう。でも、すぐおりるから」と私は礼を述べて通路を戻りはじめた。振動に用心し、背もたれの角をつかみながら進んだ。そのときブレーキの音が響いて列車は停止状態に入った。私は背を反らせて足をふんばろうとしたが、大きく前へつんのめっていた。辛うじて転倒はまぬがれた。
“こんなではなかった”私は胸のうちでつぶやき、最近、この言葉をつぶやくことが急にふえてきたな、と気づき頭を振った。
(勤)
平成九年元旦

 平成九年元旦の朝、国道二五一号線を深江から口之津に向けて車を走らせていた。有明海の彼方に太陽がのぼり、その光が一条の帯になりキラキラ輝いているのを見た。帰宅して来客用の鍋の準備にとりかかろうとしたとき稲妻が走り、雷鳴がとどろいた。不意打ちをくらったような気分になった。
来客と新年の挨拶をかわして酒をのみはじめた頃に鍋が煮えてきて、部屋には湯気が立ちこめてきた。賑やかな語らいが途切れたとき雨の落ちる音を聞いた。しばらくして強い雨足に変わった。あたりが暗くなりはじめた頃、残っている客は二、三人になっていた。玄関の門柱にかけてある看板が柱にぶつかり、その音がいそがしくなっていた。風が出てきたようだ。とうに鍋の火は消えていて冷気がしのびよってきていた。妻が「看板を家の中に入れた?」と言ったのはそれからまもなくであった。

最後の客が立ち上がった。靴を履きながら向こう向きのままポツリとつぶやいた。今年は荒れる一年かもしれんな」そのとき、また遠くのほうで雷が鳴った。
私は自室へ戻り敷き放しの布団にもぐりこんだ。ふと去年の日記を見てみたいという思いにかられた。しかし立ち上がって日記を持ってくるのがひどく大儀に思えて動こうとしなかった。
深夜、トイレのために起きたので机の上の日記を開いてみた。一月一日の頁には石川啄木の歌を一首書きつけているだけである。
何となく今年はよい事あるごとし、元旦の朝晴れて風なし」さあ、今年の最初の頁には何を書いたらいいのだろう・・・・・・・・。
(勤)
「高校生の一面には」

 正月三日高校生の女の子がふたりで来てくれた。ふたりともひさしぶりに会ったのだが、この年頃の女の子の変化にはいつも目を見張る思いをさせられる。ついこの前までは、男の子そこのけの活発さがあり、カッコイイ男の子の話など何の億面もなく口走っていたのに、この日の二人にはそういう軽さが少しもなかった。お節会料理に箸をのばすしぐさひとつにも、オヤと思わせる女らしさが見てとれた。
それでも時間が経つにつれてふたりはその場の雰囲気になれてきたらしくおしゃべりが賑やかになってきた。来年やってくる受験のこと、入学できたらホームステイで外国へ行くこと、テレビコマーシャルに出てくるアイドルタレントの人気順位にまで話は広がった。去年の暮れにわたしは島原鉄道に乗った。そのとき女子高生に席をすすめられた。「すみませんが、よかったら・・・」という短い言葉だった。私は下車駅が近いことを理由に辞退した。
そしてその後、席をすすめる側に立つものが、すみませんという言葉をつかうだろうかと妙なことが気になっていた。ふたりにこのことを話してみた。「なぜ、座ってあげなかったんですか」という言葉が返ってきた。私を見つめる目に厳しさがあった。
「ちょっとだけでも坐って上げればよかったじゃないですか。私たちは知らない大人のひとに声をかけるってなかなかできないんですよ。テレくさいこともあるけど、いいことをしてあげたいと思ってもおしつけがましいようでイヤなんですよ。その子も、きっとそうだったとおもう。だからすみませんて言ったんですよ。」
聞きながら私は わかった、わかった と心底からうなづくばかりだった。

(勤)

ノラという名の猫 アーカイブ

ノラという名の猫(1)
   

ノラという名の雄猫がいた。名前の通り飼い猫ではなく野良であった。野良猫のくせに命名されているのは愛称ではなく悪名である。    
           
猫サイドでは業績をあげて面目躍如とした奴であり、人間側にとっては行跡の悪い困った猫ということになる。ノラもそういう悪名高い猫であった。すでに姿を見せなくなって一年余りになる。    
    
あれは一昨年の秋も終わりに近い夜のことである。「ふるさと通信」の編集長と私の家で一杯やった。    
        
そろそろ帰るというので送って出ようとしたとき、戸を開けた編集長が「またノラが来とる!」と声を上げた。みると、丸まるとした一匹の茶トラが玄関先に坐っていて、「ニャーン」と鳴いた。    
    
ふつう猫は警戒心が強く人が近づくとスーと逃げていくのであるが、ノラはそうではなかった。編集長と私に一瞥をくれただけで、その態度は自信にみちあふれていてとても猫とは思えない風格である。        
    
それでも私が「チッ、チッ」と舌を鳴らして近づくと、のっそり立ち上がってアクビをし、さも面倒くさそうにその場を交わそうとした。
「やさしか声でノラて呼んでみんね」編集長が声をひそめて教えてくれた。    
         
私は人間にもかけたことのないやさしさをこめた猫なで声で「ノラ」と呼んでみた。するとどうだろう。耳をピンと立て、鋭い目つきではあるが顎をコンクリート床につけるようにゆっくり近づいてきたのだ。そして差し出している。私の手の甲に頭をこすりつけ親愛のそぶりをするのである。        
    
「こん猫にはこまっとるとばね・・・・」編集長は溜息まじりにつぶやいた。その瞬間、ノラの耳がピクと動いた。編集長の言葉がわかっているはずはないと思うがノラは私の手から離れて、ふりかえることもなくゆっくり闇の中に姿を消した。    

ノラとの初対面の夜である。 (勤)    
           
    
    
ノラという名の猫(2)        
     
木の葉が小刻みにふるえながら、ちぎれるようにして空に舞い上がり散っていく。私は食堂の椅子に腰をおろし、風の吹き抜ける庭を眺めていた。そのとき、ふと猫の鳴き声を聞いた、と思った。それも家のなかのようである。まさか、と訝りながらも私は立ち上がり玄関を覗いてみた。        
    
 
戸が十センチほどあいている。みると一匹の猫が、いま、框に足をかけようとしていた。        
    
    
猫が私に気づき視線があった。その目が鋭く光った。両耳がピンと立って緊張が体中に走っている。ノラである。        
        
        
いつもなら腕を振り上げ、声を荒げて追い出しにかかるのだが、待てヨ、と思った。昨日編集長に紹介してもらい、そのうえ接待のマナーまで教わったのである。ためしに「ノラ」と声をかけてみた。がノラは微動だにせず警戒の目は鋭い。

そうだ!やさしい声だった。私は腰をおろしながら、もう一度「ノラ」と呼んだ。すると上がり框の足をゆっくりおろした。目から鋭さが消え、短く「ミヤー」と鳴いた。近づいても逃げようとせず頭に手をやり撫でてやると、目を細めて私の手にスキンシップをはじめた。        
    
     
その時、私のなかに一つの危惧がうまれた。玄関の戸をあけて侵入してくる猫である。親しくなりすぎて居着かれるようなことになっては・・・・・・。        
    
    
私はノラに一言釘を刺しておこうと思った。私の思いが通じるとは思えないが、初対面の夜、編集長の困惑の声に素早い反応を見せ、面目なさそうに闇に姿を消したではないか。私は頭を撫でてやりながら        
     
    
        「ノラな・・・・」と語りかけた。        
    
 
風の唸りがひときわ強くなっていた。        
    
 
    
つづく        
    
                


ノラという名の猫(3)  
      
    
        
私がノラに語ったことを要約すると「お前を決して飼い猫にはしない。と言って目の敵にもしない。それはお前が猫族の中で特に秀れているようなので興味があるからだ。野良猫と人間のつきあいということだ」ということになるだろう。        
    
     
私は台所に行くと味噌汁の残りを飯にぶっかけ、お近付きのしるしにしようと、それを持って外に出た。        
    
     
        
ノラはニャーンといやに声をひっぱりながら後に続いた。カップ焼きそばの器に入れた猫まんまを玄関脇の柱の傍におくと、ノラはゆっくり鼻を近づけたのち、おもむろに首を捻って私を見上げた。その目が迷惑そうな感じに見えた。        
    
     
私は唸った。そうか・・・そうだったのか・・・・・・私は胸のうちでつぶやきながら家の中へ引き込んだ。
野良猫と飼猫の大きな違いの一つに環境がある。野良猫の場合は常に何かの危険にさらされているということだ。
それは人間であったり、犬であったり、同じ仲間の猫であることもある。とくに餌にありついているときには危険度が増すに違いない。
餌で釣るような悪知恵は人間より他にないが、釣られる側は魚に限らないのである。
ノラもこれまでに餌を与えられて生命の危機に瀕したことが一度ならずあったはずである。周辺に気を使うことなしに食べたいという思いが猫にもあるのではないか。        
        
         時間をおいて外に出てみた。すでにノラの姿はなかった。        
    
         
柱の陰の発砲スチロール製の器を覗くと、どうしたというのだろう。まったく口をつけた形跡がないのである。器のなかの汁はなくなり、真っ白だった米飯が変色してふやけている。そしてその飯の上に、ひなびた白菜の切れっぱしが一枚わびしくのっかている。        
    
     
        「猫の沽券というやつか」私はまた独りごちていた。        
    
     
つづく  (勤)        
    
  

              
ノラという名の猫(4)        
    
ノラのやってくる時間が一定してきた。午後五時から六時のあいだである。その時間我家では夕食の卓についている。    
    
玄関の戸のあく音は聞いたことはない。例の挨拶とも餌の催促ともつかない鳴き声に女房か私が「ノラだ」と声を上げるのである。        
    
    
ノラはゆっくり廊下に姿をあらわすと腰をおろし、私たちの食事風景を窺っている。飯を食っているところを凝視されるのは、たとえ相手が猫であっても具合の悪いものである。いたたまれなくなって私は自分の食べている物か、鍋の中の残り物を古い灰皿に盛って玄関の外へノラを誘うのである。        
    
         
その日も私はノラがたべはじめるのを見届けるとすぐ食卓へ戻った。「声をかけて入ってくるところは、ノラ偉いね」と女房がいった。私は胸の内で〝フン〟とせせら笑った。        
    
         
当初、ノラはひんぱんに出没していて、私たちの目を盗んでは台所兼食堂を荒らした。女房は本気で腹を立て、防護策に鉤を二組も買ってきて戸に取り付けたのである。さすがのノラもこれには太刀打ち出来ず、この時刻にくるようになったに違いない。        
    
        
玄関でノラが鳴いた。出てみると、閉めたはずの戸があいてノラが入ってきている。そして私を見上げしきりに鳴くのである。
いつもと様子が違うので私は外を覗いた。
三匹の猫がウロついている。〝ノラの奴餌を横取りされたナ〟という思いが頭を掠めたが、私は〝待てヨ〟と思った。三匹の猫はノラより若いには若い、しかしそれは少年から青年になりたての若さのようなもので、とてもノラのたべ物を横取りできるほどのたくましさもなければ知恵もそなわっているはずがない。        
    
 
        
    〝一体、ノラは何を要求しているのか〟と考えていると、いつのまにか私の前にまわったノラが短く一声鳴いたのである。        
    


つづく  (勤)        
    
    
    
ノラという名の猫(五)                     

    
ノラに触発されたかのように三匹の若猫も一斉に鳴き声を上げはじめた。        
    
その声は妙に粘っこく耳につき私は苛立ちをおぼえた。        
    
 “これまでにこんなことは一度もなかったのに、一体どうしたというんだ”        
    
私はなかば途方にくれ、これ以上つきあっている暇はない、と家のなかへ戻りかけて、あることを思い出したのである。        
それはノラとのつきあいがはじまってまもない頃のことである。         
    
ある日、例によって玄関にノラの声が聞こえた。いつもはそれから私たちの前にやってくるのにさして時間はかからない。ところがその日はなかなか姿を見せなかった。    
    
私は不審に思い廊下へ出て驚いた。         
    
ノラが先頭になり四匹の猫が後に続いてるではないか。私は咄嗟に大声を出して猫たちを追っ払った。
そのときである。ノラが奇妙な声で鳴いたのである。その声は悲しげであり、私に対する抗議のようにも聞こえた。    
        
私は今日のノラの思いが漠然と理解できたような気がして、台所へ戻りボール一杯の猫飯をつくり外へ出た。
三匹がまた甲高く鳴いた。ボールを置くと一匹が近づき、魚の頭を引っぱり出したかと思うと素早くくわえてその場を離れた。他の二匹もそれに習って次々と餌物をくわえては所を移してたべはじめた。    
    


ノラはしばらくその様子を眺めていたが、やおら腰を上げ、ゆっくりした歩調で表通りへ歩いていった。    
                  
私が見たノラの最後の姿である。    
        
思えばノラは人間界にとっては手に負えない悪猫であったが、猫世界では歴史に名をのこす傑物でなかったのかと思う。
人間の世界には人の弱味につけ込んで勢力拡大を計るボスは増え続けているが、ノラは猫族たちのすばらしきリーダーだったように思う。    
    
             
    
終わり(勤) 

MIZURION ミズリオン アーカイブ


昨年開店した貝瀬の国道沿いにあるミズリオンへ、

西日本新聞のミニコミ誌「パッション」の取材をかねて訪問してみました。

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注文したのは定番の和牛ハンバーグセットです。
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取材なのでいろんな方向から撮影。
ハンバーグセット850円+150円でドリンク付になります。アイスティーを選びました。
国産和牛の手作りハンバーグはボリューム満点でやわらかく肉汁もおいしいです。
また、使用されているデミグラスソースは生シメジを煮込んでソースを取っています。
スプーンがありますのでハンバーグだけでなくソースも味わってみてください。
実は・・ ソースだけでご飯がもう一杯いけました。
昼時間帯にはテーブルがいっぱいになるほどの来客があります。
メニューはカレー、ピラフ、ケーキなどあります。ほかのメニューも食べてみたくなります。
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グリル MIZURION 
南島原市口之津町丙2001-4 電話0957-86-5130

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木曜休み 11時から15時、17時から21時の営業です。

2010年4月 8日 (木)ブログへ掲載

こだわりの コーヒー アーカイブ

ふるさと通信第12号、平成8年12月掲載 (平成11年6月7日再取材)
こだわりの コーヒー



本場と変わらぬコーヒーを提供したい。 
真米にオープンしたカフェ ブレーメンの店長福田俊一郎さんは本物のコーヒーを提供している。
東京、浅草のバッハというコーヒー買い付けグループと協力してキューバ、ブラジル、ドミニカほか中南米全ての国とインドネシアなど世界中のコーヒーの原産地から一番いい豆を輸入。
それぞれの豆に合った煎り方による深い味のコーヒー18種類と手作りシフォンケーキが自慢。
オリジナルブレンドのブレーメン・ブレンドもある。「いいコーヒーは健康のためにもいい」と福田さん。
紅茶・ジュース・ミルクなどもある。
営業時間は10:00から21:00(オーダーストップ20:30)となり、夜もゆっくり手作りコーヒーと手作りケーキが楽しめるようになった。
電話&ファックス 0957-86‐5415。 

コーヒー豆の販売もあり、注文できる。

ふるさと通信第12号、平成8年12月掲載 (平成21年1月再取材地図再作成)

日本人登山家 藤原謙二氏、Mt.Manzo Naganoに登頂 アーカイブ

ふるさと通信第31号 より抜粋
日本人登山家 藤原謙二氏、Mt.Manzo Naganoに登頂 

 一八七四年(明治七年)十九歳の口之津町出身、永野萬蔵は英国船にボイラーマンとして乗り込み、船上で英語を覚え、一八七七年(明治十年)カナダ、バンクーバー近くに上陸。 永野萬蔵は日本式の投網で、川をさかのぼるサケを一網打尽にして財をなした。「塩ザケ王」「カナダ大尽(大金持ちの意)」と呼ばれ、カナダの産業発展、鉄道建設などに協力した。今も一八九八年に萬蔵が建てたレンガ造りの三階建のナガノ・ビルが残っている。 一九二四年(大正十三年)故郷口之津で死去した。(享年70歳)玉峯寺の墓にある戒名「千岳院萬山領実相居士」と刻んである。 一九七七年に日系移民百年祭にカナダ政府が永野萬蔵をカナダ移民第一号と認め、ブリティッシュ・コロンビア州の山、標高一、九五五㍍=六、四〇〇フィートの山を「マウント・マンゾウ・ナガノ」と命名した。 日本人の名前がついた海外の山はグリーンランドに「ウエムラ岩峰」(植村直巳さん)、南極に「ナガタ山」(永田武、南極観測隊長)があるくらいだろう。 長崎県川棚町出身(神戸市在住)拓殖大山岳部OBの藤原謙二氏(60才)が八月二十四日、七年間思い焦がれていた「マウント・マンゾウ・ナガノ」に登頂成功した。参考資料/バンクーバー新報、北米新報、遠き旅路の声(高田光子著)

長野万蔵(goo) Manzo Nagano(Yahoo canada)

焼酎「青一髪」の由来に寄せて アーカイブ

ふるさと通信第11号、平成8年12月掲載
焼酎「青一髪」の由来に寄せて
半月ほど前のことです。栄町の久保酒屋の長一郎君と一杯やっておりました。
その時、どんな話をしていて、そういう話になっていったのかはっきりしないのですが。

「おいげん焼酎ん名はね・・・・・」と長一郎くんが語り始めたのです。
 「おいげん父ちゃんの島原ん宮崎康平さんのとこれ遊びに行かしたときに、康平さんの、お前ねん焼酎ん名は青一髪てつけんねて言わしたとげな、頼山陽という詩人の天草洋ばうとうた詩のなかにあっとげなて言わしたとげな」。 

私は「へえ!」と声に出してしまいました。私もこれまで青一髪を何度か飲んだことがありましたが、その名の謂われについて考えたことはありませんでした。独り合点で、青一髪を飲んで酔いが廻ってくると、いつしか黒髪の女が現れて一緒に飲んでいる。女は絶世の美女である。ところがちょっと脇見をしているうちに女は消えている。あとに一本の黒髪が落ちている。その髪の毛をそっとつまんで眺め、しみじみと名残りをおぼえているような、そんな風情を味わう焼酎くらいに思っていたのですから、宮崎康平さんの名がでてきたり、頼山陽という詩人の名まででてきたのには、ちょっと驚いてしまいました。 

「そいで、そん詩はあっとナ」と聞きましたら「ある。いるなら明日やるけん」ということになりました。 長一郎君は約束通り翌日三枚のコピーを届けてくれました。  一枚目に「泊天草洋」という題があって頼山洋と作者名が記してあります。そして一行目に「雲耶山耶呉耶越」とあります。見ると、二行目も三行目も漢字ばかりです。それも読めない字の方が多いのです。はずかしながら手も足も出ないで、出るのはため息ばかりという体たらくです。弱気になって二枚目をめくりますと、上段に漢詩、下段に読み方が書いてありました。そしてページ数の横に「漢詩の味わい」と本のタイトルもコピーされていました。

そんな訳で今回は青一髪の名のでどころである詩とその作者について紹介させていただきます。 頼山陽(一七八〇~一八三二)は大阪生まれの人で数々の逸話を残していますが、そのことには今回触れません。 

この詩は山陽が三十九歳のときの作で、九州旅行の途中、天草洋に舟泊りをしたときのものです。


一行目は「雲だろうか、山だろうか、呉の国だろうか、越の国だろうか」という意味で「このうたい出しがすばらしい」と本には書いてあります「日本人離れのしたスケールの大きさ」とも書いてあります。次に焼酎の名となった「水天髣髴青一杯」が出てまいります。その意味は「水と空とが、ぼんやりと向こうの方で青一すじにつながっている」つまり水平線で海と空の境目が髪の毛一すじということです。「万里泊舟天草洋」「煙横篷窓日漸没」
この三、四行目は「故郷を万里離れて、この天草灘で泊まりすると、夕もやが舟の窓にたなびいていて、陽が沈んでいく」とあります。たぶん山陽は独り旅であったのでしょう。旅先での夕暮れどきに私たちも同じ気分を味わうことがあると思います。五行目は「チラッと大きな魚が波間に踊るのを見えた」とあり本では「何気ない表現ですが、これがなかなか味がある。夕暮れの静寂の中の一つの動き」と書いてあります。何となく芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を思い起こします。六行目は「宵の明星が舟の向こうに月のように明るく見える」ということで「夕もやの中に光る宵の明星を眺め、なんともいえない旅情のやるせなさが胸中に広がってくる」と解釈してあります。 

詩人の感性の凄さには感服するばかりですが、私も今度青一髪を口にするときには、せめて「泊天草洋」の詩をイメージして味わいたいと思っています。    (文、 八木 勤)(編集、山本 芳文)  

久保酒店 電話86-2004

ふるさと通信第11号、平成8年12月掲載