焼酎「青一髪」の由来に寄せて

その時、どんな話をしていて、そういう話になっていったのかはっきりしないのですが。
「おいげん焼酎ん名はね・・・・・」と長一郎くんが語り始めたのです。
「おいげん父ちゃんの島原ん宮崎康平さんのとこれ遊びに行かしたときに、康平さんの、お前ねん焼酎ん名は青一髪てつけんねて言わしたとげな、頼山陽という詩人の天草洋ばうとうた詩のなかにあっとげなて言わしたとげな」。
私は「へえ!」と声に出してしまいました。私もこれまで青一髪を何度か飲んだことがありましたが、その名の謂われについて考えたことはありませんでした。独り合点で、青一髪を飲んで酔いが廻ってくると、いつしか黒髪の女が現れて一緒に飲んでいる。女は絶世の美女である。ところがちょっと脇見をしているうちに女は消えている。あとに一本の黒髪が落ちている。その髪の毛をそっとつまんで眺め、しみじみと名残りをおぼえているような、そんな風情を味わう焼酎くらいに思っていたのですから、宮崎康平さんの名がでてきたり、頼山陽という詩人の名まででてきたのには、ちょっと驚いてしまいました。
「そいで、そん詩はあっとナ」と聞きましたら「ある。いるなら明日やるけん」ということになりました。 長一郎君は約束通り翌日三枚のコピーを届けてくれました。 一枚目に「泊天草洋」という題があって頼山洋と作者名が記してあります。そして一行目に「雲耶山耶呉耶越」とあります。見ると、二行目も三行目も漢字ばかりです。それも読めない字の方が多いのです。はずかしながら手も足も出ないで、出るのはため息ばかりという体たらくです。弱気になって二枚目をめくりますと、上段に漢詩、下段に読み方が書いてありました。そしてページ数の横に「漢詩の味わい」と本のタイトルもコピーされていました。
そんな訳で今回は青一髪の名のでどころである詩とその作者について紹介させていただきます。 頼山陽(一七八〇~一八三二)は大阪生まれの人で数々の逸話を残していますが、そのことには今回触れません。
この詩は山陽が三十九歳のときの作で、九州旅行の途中、天草洋に舟泊りをしたときのものです。

この三、四行目は「故郷を万里離れて、この天草灘で泊まりすると、夕もやが舟の窓にたなびいていて、陽が沈んでいく」とあります。たぶん山陽は独り旅であったのでしょう。旅先での夕暮れどきに私たちも同じ気分を味わうことがあると思います。五行目は「チラッと大きな魚が波間に踊るのを見えた」とあり本では「何気ない表現ですが、これがなかなか味がある。夕暮れの静寂の中の一つの動き」と書いてあります。何となく芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」を思い起こします。六行目は「宵の明星が舟の向こうに月のように明るく見える」ということで「夕もやの中に光る宵の明星を眺め、なんともいえない旅情のやるせなさが胸中に広がってくる」と解釈してあります。
詩人の感性の凄さには感服するばかりですが、私も今度青一髪を口にするときには、せめて「泊天草洋」の詩をイメージして味わいたいと思っています。 (文、 八木 勤)(編集、山本 芳文)
久保酒店 電話86-2004
ふるさと通信第11号、平成8年12月掲載
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